岩倉にある岩倉具視幽棲旧宅(いわくらともみゆうせいきゅうたく)です。
岩倉具視が文久2年(1862)38歳の9月から慶応3年(1867)11月までの約5年幽居した建物が現存し、資料と共に公開されています。
幕末に、失脚した岩倉具視は、市中から遠い岩倉で暗殺の難を避けていました。ここで考えられた「全国合同策」が、後に幕府を倒し天皇中心の国家にするという王政復古の流れにつながっていくことになります。