木屋町二条下るにある角倉了以邸跡(すみのくらりょういていあと)です。
角倉了以(吉田与七)は一之船入で有名な高瀬川の開削で知られています。実家が裕福だったことから、莫大な資金のかかる川の開削に大きく関係しています。
高瀬川の開通により、東国や西国地方から穀物などの生活物資が大量に搬入されるようになり、京都の物価を安定させることで庶民に安心をもたらしたと伝えられています。了以の行った事業は、そのほかに、大堰川、富士川の開削、朱印船による貿易などがあります。
ほぼ正面に角倉了以別邸跡の石碑も建っています。
京都市中京区木屋町二条下ル